勾玉(出雲型勾玉)
勾玉の形
勾玉の持つ意味
出雲型勾玉の誕生
現在の出雲玉湯町の近辺には良質の赤めのうや青石を産出する花仙山があり、古代出雲ではその産出されためのうを使いたくさんの勾玉が玉造職人の手によって作られましたが、弥生時代に始まった出雲での勾玉作りは、平安時代に廃れ、約900年にわたり途絶えました。
しかし江戸時代の末、出雲地方の湯町村に住んでいた伊藤仙衛門が若狭めのう細工で栄えた若狭国遠敷村(福井県小浜市)を訪れて、その技術を学び、また若狭から瑪瑙職人を招いて技術を伝え、天保4年ごろ出雲に玉造りの技術がよみがえりました。そして、出雲型勾玉は現代に受け継がれているのです。
出雲大社の祭祀を司る『出雲国造』。
神話の時代から受け継がれてきた役職のことで、国造職の新任の際には厳粛な儀式が執り行われ、その中に出雲の玉を皇室に献上する儀式があります。「出雲型」はその勾玉を古式にのっとり作成したものです。
アナヒータストーンズのグループ会社「めのうやしんぐう」は出雲型勾玉の製作を許され、唯一受け継ぐ制作元なのです。
青めのう/深い水の色、命の源の象徴
白めのう/髪が真白になるまでの長寿
赤めのう/若者のような赤みを帯びた顔色の健康
出雲大社のご用品として、また皇室に献上させていただいています。
ふっくらとして丸みを帯びた独特の形状は、もっとも美しく均整が取れており、現在「いずも勾玉の里伝承館」の4人の職人が製作・指導に携わって品質を管理しています。
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