ついに、ついにカミさんの足が治った。
先日、友だちと横浜へ買い物に行ってかなり長距離を歩いたらしいんだけど、
ぜんぜんヒザが痛くならなかったそうだ。
だから治ったということらしい。
もちろん自己申告で本当は治っていない可能性もあるけれど、
本人が治ったといっているのだから治ったということにしておこう。
治ったのならば行かなければならない。そう、行こうではないか鉱物採集へ。
関東近郊で最も人気のある産地。
そこへ行きたい。
そしてひとつの産地に的を絞った。
その名前は「水晶峠」。
山梨県と長野県の県境近くの山梨県側。
金峰山(きんぷざん)登山道の途中に水晶峠がある。
この産地は前々からぜひ行ってみたいと思っていたところ。
多くの採集仲間がここで素晴らしい水晶をたくさん見つけている。
基本的には非常に透明度の高い無色の水晶が出るのだけれど、とても広い産地で場所によっては紫水晶や緑水晶、さらにはハート形をした日本式双晶も見つけることができる。
最も古くから知られている産地のひとつではあるけれど、ここが今、現在進行形で関東では最も人気がある。
人気があるということはその産地は「出る」ということだ。さらに「行きやすい」ということでもある。
たくさん出たら景気がいいじゃないか。
復活初採集にこれほどふさわしいところはない。
さて、行くと決めたならひとつ問題がある。
何が問題かというと、私たちはそこに初めて行くということだ。
初めての産地は探し方がわからず、手ぶらで帰るはめになることが多々ある。
さらにいうなら、道に迷ったりしてズリにたどり着けないことすらこれまでに何度も経験している。
ズリとは目的の石が埋まっているピンポイントの場所のこと。そこを外すと何メートル掘ろうが何も出てこない。
そこで私たちは石仲間のクーコさんに案内をたのむことにした。クーコさんは私たちと同年代。ご主人と一緒に何度も水晶峠に採集に行っている。
まだ大きな水晶は見つけていないそうだが、それは運だからそのうちきっと10センチ越えの大きな水晶も見つかるだろう。
そしてもう一人。
以前から鉱物採集に行ってみたいといっていたケローネ(カエルのぬいぐるみ)仲間の松坊(まつぼう:24歳女性)さんを誘い、男2名女3名総勢5名でのチャレンジとなった。
そうそう、人数が多いってとても重要なことなんです。
なぜなら、もしケガをした場合、助けてくれる人がいるということ。
山ではほんのちょっとしたことが遭難につながるから、大勢いるというだけで安心度は格段に増すのです。
早朝、音もなく、風はまだ冷たい。
梅雨が明けたばかりの山々には朝霞がかかり、顔を出す直前の太陽がそれらを青く照らし出していた。
眼前には深く広がる森。この森のどこかに眠る水晶と出会うために、私たちはまだ暗い森に足を踏み入れた。
という予定だったのだけれど、ちょっと寝坊してしまったため、到着したときすでに太陽は高く登りきってました。
風は熱風。早く森に入らなければ数分で熱中症にかかってしまいそうな陽気。
キレイに舗装された林道の駐車スペースにはすでに10台の車が並んでいて、みんなとっくの昔に森に入ったのだろう。私たち以外に人の気配はもうなかった。
さて、目的のズリまではここから1時間近く歩かなければならない。1時間というと私たちにはかなり遠い距離なのだが、そこは登山道、水晶だけにこだわらずのんびり景色を楽しみながら歩けば1時間なんてすぐに過ぎてしまうさ。
登山道に入ったところ。
小川が流れ、小鳥が鳴き、とても気持ちのいい森。
まだ見ぬ水晶に心をときめかせています。
ところが、気持ちよかったのはここまで。
小川を渡ったその直後。
突然道がなくなった。いや、なくなったわけではなかった。
遠く遥か下に続きの道が見えていた。
あれ? こんなはずじゃなかったんだけど……。
手をつきお尻をつき木の枝を掴み、なんとかその道まで降りた。
道はさらに険しくなり、左側は奥底が見えないくらい深い谷。
足元だけをしっかり見て歩くが道幅は足の幅しかない。
しかも急角度で下がりまた上がるを何度も繰り返した。
まるでジェットコースターのレールの上を徒歩で何周もしているような感じだ。
また小川の音が聞こえてきた。
さっきの川より川幅も水量も多い。
水は鬼のように冷たく10秒もしないうちに手が痛くなる。水温はマイナス10℃くらいと推測した。
この貧弱な橋を渡る。
足元に白い石が散らばり始めた。
石英だ!
水晶は石英が結晶したもの。
ここがズリか!?
「はーい、到着しましたー!」
クーコさんのご主人が叫ぶ。
斜面に顔を近づけてみると石英というよりも透明な水晶のカケラがたくさん落ちていた。
その中に小指の先ほどだけれど、しっかりポイントになっているものもある。
すごいぞ、この産地は。
表面というのは多くの人が探した後だからそうそう見つかるものじゃない。
それなのに顔を近づけただけで小さいながらも水晶が見つかるということは、
みんな小さな水晶には目もくれていないということにほかならない。
ということは、ちょっと掘れば大きな水晶が出る可能性が高いということだ。
見渡してみるとあちこちに大小の穴があいている。
さっそく採集開始としたいところだが、とりあえず、とりあえず休憩だ。
時計を見ると森に入ってから2時間が過ぎていた。
お昼を食べ、それぞれが思い思いの場所に散らばった。
掘ると行ってもこの程度。
しかも、みんな誰かが掘ったその続きを掘っている。
出る。
小指ほどの大きさの水晶ならばいくらでも出てくる。
驚きなのは一緒に出てくるカケラの大きいこと。
カケラといっても水晶の一部というわけではない。先端部分が折れてなくなっているものはみなカケラなのだ。
そのカケラがどれもこれもみなきわめて透明で立派なのだ。
本来20センチくらいあったのではないかというものがとても多い。
しかし、水晶は頭(あたま:結晶の先端のこと)があってなんぼ。非常に惜しいがこれらは持って帰らない。
探し初めて数時間が経った。そろそろ帰ることを考えなければ森の中で夜になってしまう。
そのとき、叫び声がした。
「うわあーっ」
クーコさんのご主人の声だ。
「あーっ!」
こんどはクーコさんの声。
「ひゃーっっ!!」
さらにカミさんの声がした。
「ちょっと来て! 早く来て!!」
というカミさんに呼ばれ、何事かとその場へ急いだ。
「どへーっっっ!」 これは私の声。
カミさんの手には余裕で10センチ以上ある水晶が何本も立ったクラスターがあった。
「クーコさんのご主人が見つけたの……」
「いや、その、あの木の切り株のところに落ちていた石をひっくり返したらそれだったんです」
ご主人は当然のことながらかなり興奮している。
ここの水晶は大きくなると白く濁ってくることが多いのだが、これは無色透明だ。
コレは間違いなくかなりの上物である。
しかも、見つけたのはこれ1個ではなかった。
もう少し小振りだが、同じパターンのクラスターを含め全部で5個もあった。
こんなスゴイ水晶をズリで見つけた人は他にいないんじゃないだろうか。
5個のうちの小さなものを松坊さんと私たちがそれぞれ1個ずつお裾分けにもらい。
私たちは山を下りることにした。
今回の私たちの収穫↓
見事なファントムが入っている。
そういえば、カミさんはヒザが痛いと一度もいわなかったな。
それにしても、車が10台も停まっていたのにほとんど誰にも会わなかった。
みんないったいどこで探しているのか。
駐車場所に戻ってきてようやく知り合いの石仲間に会った。
その人に聞くところによると、みんな本来のズリでは飽きたらず、
自分一人のズリを求めてさらに奥深くに入っているそうだ。
そうして新しいズリを見つけると、ガマンできずにみんなにしゃべってしまう。
するとそこにみんなが殺到し、また誰かが新しいズリを見つけるために奥に入って行く。
水晶峠はその繰り返しでどんどん広がっていく発展途上の産地だったのだ。
確かに地質図を見ればかなり広範囲に花崗岩が分布しており、
水晶がまだまだたくさん眠っていることは容易に想像できる。
だからといって、フツーは探してもそうそう見つかるものじゃない。
この産地は山も深いがズリもかなり奥深い。
そして人間の欲望も水晶峠の谷のように底が見えない。